ブランド

WATUMULL'S

ハワイアンシャツの全盛期を築き上げたブランドの中で、異色かつ大きな成功も納めたとして有名なのが、インド系移民のG・J・ワットムルが1913年に創業したイースト・インディア・ストア、後のワット・ムルスである。商品は、中国やインドの真鍮器具、漆器、宝石類、刺繍製品など。日本の絹の着物類やガウンといったものを扱う、キモノルーム。中国のエキゾチックな土産物が中心であったリネンルームなどがあった。30年代後半には洋服類に重心を移し、プリントのテキスタイルをホノルルで見かけるようになる前から、オリジナルブランドで扱っていた。ハワイアンシャツの歴史を語る上でも、ムサシヤやキング・スミスと並ぶ重要なショップであり、このブランドの最大の功績は、トロピカル柄のアロハシャツをいち早く発表したことだ。それを支えたのが初期のテキスタイルデザイナー、エルシー・ダース。彼女はオレゴン生まれのデンマーク系アメリカ人で、ワット・ムルスに嫁いだ姉を訪ねてハワイに渡り、気候の良さが気に入って移住を決意。最初はイースト・インディア・ストアのウィンドウ・デコレーターをしていたが、‘36年からからデザイン活動を始め、’37年には竹やブレッドフルーツ、フラガールといったそれまでにない斬新なハワイ柄の生地を完成させる。これは、絹を精製しないで使うロウシルクという生地に、日本でハンドブロック・プリントされたもので、これが最初のハワイ柄の生地と言われているものだ。さらに、翌年の’38年にはそれらのデザインを転用したと思われる服用のプリント生地を「ネイティブ・ファブリック」と名付け、売り出している。’37年頃から売り始めていたアロハシャツも、戦時中も途絶えることはなかった。戦後はカメハメハやシャヒーンの製品に、ワット・ムルスや系列のお土産物店「レイラニ」の織りネームを付けて販売。その後も順調に拡大を続け、30軒からなるチェーン店となった。’55年にロイヤルハワイアンを傘下に収めることがきっかけとなり、ハワイ衣料専門店へと方針を改めた。