ハワイアンシャツの歴史



楽園ハワイを象徴するアロハシャツ。その原型は20世紀前半、ハワイオリジナルのシャツとして誕生した。

初期のアロハシャツには和柄が多く、ハワイに移住した日系移民とのかかわりも深い。〈ムサシヤ・ショーテン〉は初期のアロハシャツを育てた店のひとつ。早い時期から和柄の生地を使ったシャツを仕立て、1935年に「アロハシャツ」という言葉を初めて新聞広告で使ったとされる。そして1936年、「アロハ」は洋品店〈キング・スミス〉の経営者エラリー・チャンによって商標登録される。中国系移民の彼が最初に売り出したアロハシャツは、ムサシヤが仕立てた和柄のシャツだった。

その後のアロハシャツ発展の背景には、ハワイが観光地として確立したことが大きくかかわっている。1927年、マトソンラインがサンフランシスコ~ホノルル間の客船を就航させると米国本土から多くの観光客がハワイに降り立った。また、戦時中のハワイは米軍の要衝として賑わい、戦後は航空路の発達もあり観光客が大挙。土産物としてのアロハシャツの需要は一気に増え、やがて米国本土でもハワイブームが起こるようになると、ハワイのメーカーだけではなくアメリカ本土のスポーツウエアメーカーなどもこぞってアロハシャツを作るようになる。

ヴィンテージと呼ばれるアロハシャツはそのほとんどがレーヨン素材のものを指し、涼感のある着心地、「抜染(ばっせん)」や「オーバープリント」などの発色の良い深みのある染めが大きな魅力である。色鮮やかで魅力的なデザインは独創的なパターンで配置されており、絵柄やパターンには素材やプリント方法との相性、そして時代的な移り変わりがある。

アロハシャツ黎明期の1930年代に主流であった「オールオーバー・パターン」のモチーフのサイズは年月を重ねるごとに徐々に大きくなっていき、1940年代後期になると、より派手なデザインとして「ボーダー・パターン」の作品が多く生み出された。そしてアロハシャツの最盛期である1950年代には、更に自己主張の強いデザインとしてシャツ自体が一枚の画のように見える「ホリゾンタル・パターン」が生まれ、米国本土では「バックパネル・パターン」や「ピクチャープリント」など、より強烈なインパクトのあるデザインが作られるようになる。ハワイならではのミックスカルチャーを象徴するオリエンタル・デザイン(和柄)は、最初期のアロハシャツやオリエンタルブームが起こった1950年代に多く見られた。