ブランド

SUN BROS & CO

ハワイでのアロハシャツの人気が全盛期に入りつつあった、1950年代後半。現地のメーカーはより加工賃の安い、日本での縫製へと拠点を移していく。そのため、主に生地の輸出を手掛けていた商社も生地からシャツにするまでの工程を日本国内で行った。それらの拠点となり、製品輸出の主要な役割を担っていたのが港町、神戸と横浜だ。特に横浜の港の近くには様々な日本の商社が支店として縫製工場を置いた。同ブランドも大手商社、東光貿易のブランドで、横浜で生産された後、ハワイへ輸出されたものにはこのブランドの織りネームを付けられて輸出されていた。