ブランド

KAMEHAMEHA

1936年創業のカメハメハ・ガーメント社のブランド。ベルタニア・ストリートで従業員15人の小規模工場からスタートし、当初は軍のサービスセンターの補助機関として陸・海軍のためのテーラーであった。創設者のハーバート・V・ブライナーは、’38年に株主兼経営者になり、業界の経験があったので、その経験をいかしてデザインから生地の購入、裁断、セールスマネージャーまでこなした。’39年にはすでにミシン125台と150人以上の従業員をかかえるハワイ最大の衣料品メーカーに成長していったのである。ブライナーは、小売のチェーン展開をしていたメイカンパニーのメイ兄弟からのリクエストで、ロウシルクのカジュアルシャツを視察しにハワイを訪れた。それが、彼とハワイとの出会いである。後にブライナーはロウシルクを使い、メンズシャツを作り始めたが、生地の品質が安定せず、高品質なものが作れなかった。そこで、ハワイ柄のプリント生地を使ったスポーツウェアや、ハワイで最初と言われるツーピースの女性用水着などを作り、人気を呼んだのだ。’39年の時点ですでに、アロハプリント23種類を含む約100もの独自のデザインをもっており、製品の95%は米国本土で販売されていました。ブライナーは柄に対して人一倍こだわっており、この頃6人ものテキスタイルデザイナーを雇っていたほどで、当時ヒットしたプルメリアの柄は7年間売れ続けました。’45年にはハワイ島ヒロに従業員200人の大規模近代工場が完成し、裁断と縫製はヒロで、仕上げと梱包はホノルルで行うようになった。また、ロサンゼルスとニューヨークに販売用営業所も開設し、アメリカ本土だけではなくヨーロッパやカナダ、カリブ海諸国にまで出荷していた。美しく質の高いオリジナルの柄を数多く発表しており、ゴーギャン・ウッドカットなどジョン・メイグスの作品の多くを手掛けたことでも知られ、‘51年にはサベージのメニュー柄も発売しました。そのような評判から、戦後は米国本土だけでなく、リバティー・ハウスやマキナニー、シアーズやワットムルスといったハワイの店でも広く販売されるようになった。