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ALOHA by KING SMITH

アロハシャツという言葉は誰が考え出したのかは、確実な証拠がないため真実はわからない。ただ、この言葉を商標として登録し、ハワイアンシャツを商業ベースで一番最初に作ったのが、alohaブランドの生みの親であり、キング・スミス・クロージアーズのオーナーであったエラリー・J・チャンだったと言われている。中国系移民であったエラリーの父親はノース・キング・ストリートに雑貨店を創業した。1909年生まれのエラリーはハワイの名門プナホウ高校を卒業し、エール大学の経済学部に進学の後、’31年に卒業。大恐慌により、経営が傾いた父親の店を継ぐためホノルルに戻った。店名をキング・スミス・クロージアーズに改め、日用雑貨だけではなく、近くに店舗をかまえていたムサシヤで仕立てたシャツを「アロハ」シャツと名付け、販売を始めた。それはビーチボーイ達が隣の仕立屋に旅行客を案内しているのを見つけたチャンが、その場で持って帰れるシャツができないかと考えた結果である。そして、地元の人も着られて、お土産物にもできるハワイらしいシャツを作ろうと思ったが、ハワイ製では納得のいく品質の生地がなく色鮮やかで派手な着物の生地を使った。また、店名のキング・スミスとは、店舗がN.キングストリート沿いのスミスストリートの近くにあったことから、そう名付けられた。その当時、エラリーと同じように、アロハシャツという商品名で同じようなシャツが他の幾つかの店舗でも売られており、とても人気であったことに気づいていた彼は、商標の登録を思いついた。1936年7月15日に申請書を提出し、その時に、アロハシャツという名称と曲がったヤシの木の図柄とを一緒に登録しただけではなく、絵葉書、下げ札、レターヘッド、包装紙、看板などのありとあらゆる宣伝材料の商標としても登録。そして、ラベルも改め、新しいシャツを売り出した。この新しい展開を支えていたのが、5つ違いの妹、エセル・チャン・ラムだった。彼女もまた、プナホウ高校に通い、卒業後はハワイ大学マノア校の家政学部に入学。もともとファッションデザインに興味があった彼女は、家政学と同時にドローイング、ペインティング、彫刻の3つも専攻し、その合間にはシャツの柄のデザイン画も描くようになっていた。その後、カリフォルニアの美術学校で学んだ2年間の間もエセルはエラリーにデザイン画を送り続ける。卒業してホノルルに戻り、「アロハ」ブランドのデザインを担当し、最初期のハワイ柄の多くを生み出した。ハワイを訪れる観光客も増えていた時代でもあり、新聞や雑誌で大々的に広告もしたため、「アロハシャツ」はかなりの人気を呼んだ。エセルは、1940年に水着などのリゾートウェアが中心のワイキキ支店ができると、支配人に就任。その年に、兄のエラリーがアメリカン・セキュリティーバンクの役員に迎えられて、洋服のビジネスから離れることになり、50年にはエセルに店の権利を売却した。その後、エセルは店を移転し、店名も、カジュアルウェアを扱うお店だとわかりやすいように「キング・スミス・スポーツウェア」に改める。その後も長い間、現役で仕事をしていたが、1963年に店を売却し、引退した。このブランドも又、アロハシャツという文化に大きく貢献し、様々な歴史を作り上げたメーカーである。